骨壺のはなし −その自作のすすめ−



骨壷のはなし −その自作のすすめ−

陶芸を始めた頃から冗談半分に「あんさんの骨壷、わいが作ったるで」と吹いてまわった。
水上勉は「骨壷の話」(集英社文庫)でいう。
“・・・白い手袋をはめた人のもってくる量産の味気ない壺、まかりまちがえばべつの人が入ってもよかった壺へ私たちははいることになる。例えそれが、仮の住まいであろうと、終の棲家であろうと・・・
・・・自分の人生にあれほどまでに拘った人が、骨壷にはどうしてここまで無頓着でいられるのであろうか。この世は仮の住まい、あの世も仮住まい、だとすればせめてもう少し遊び心、風流心があってもよいのではないか。”

しかし自分が入るのならいざ知らず、人様のものは難しい。
宗教、宗派、地方、家風、墓のあり方、それぞれに異なる。それに人生観、死生観もある。
水上勉はいう。“砂糖入れか、梅干壺のつもりでつくればよい。生前愛用していたものをそのまま使うのだ。梅干さえ入れたくないものにどうして、死後の仮住まいを託せようぞ。”  また、“骨壷には「手作り」(紐作り)が相応しい” とも。

かくして、「きよ志窯」ヘ来て作ってもらい、小生は手助け、お手伝いに徹することにした。
骨壷−その自作のすすめ−である。